シンプルな転職

韓国はいわば明治の日本みたいなもので、ノウハウも技術もすべて先進国に学んでいく時代だから、エリートを徹底的に勉強させていく以外にない。 まともな教育は士宮教育しかないという欠陥がこれからたぶん出てくるだろうが、日本はその逆だというわけである。

いずれにせよ、管理職クラスをこそ徹底的に鍛え上げないと、日本の企業はこれ以上伸びない。 高度成長期によく伸びている企業はたいてい、現場の兵隊さんと下士官、新入社員と係長クラスがかげずり回っていたところである。
この種の企業が強かった。 ところがいまは課長さんクラスが走り回っている企業が強い。
生産性と品質管理というこの経営の手段が、経営の戦略に大化げできた幸運の時代は終わったからである。 生産性と品質管理というのはもともと経営の手段にすぎないのである。
なぜ、手段的価値にすぎないかというのは、たとえば需要が落ちたときには、生産性と品質管理のよすぎる企業ほどダメージが大きい、かならず豊作貧乏になる、というこの一事をみても、簡単にわかるはずである。 構造不況業種の悲劇もそういうところにある。
高い生産性も品質のよさも需要があればこそである。 高度成長期という需要がどんどん広がっていった時代は、生産性と品質管理と全員のガンバリズムという手段的価値で、たまたま会社が大きく伸びることができたということにすぎない。
そのことをいまだに錯覚しているベテランの経営者がいる。 経営のオールマイティというのは、あくまで価値創造以外にない、需要をつくる以外にない。

その需要創造が知恵であり、戦略であり、アイデアであり、高付加価値であり、高技術である。 そこで現在は戦略経営の時代ともいわれている。
戦略経営というものは、上のほうほどしっかりしていないとできないということだけは、ともかくはっきりしている。 ボトムアップ式にやっていく経営者でも、下から上がってくる提案の中身の理解力は最低限必要である。
だから私は、これからは、人材の格差がすなわち企業格差になるこわい時代だ、といっている。 組織の上のほうがボンラクだと、兵隊さんや下士官、新入社員や係長のやる気やガンバリズムがむなしいバンザイ攻撃になりかねない。
激しい日本人の競争心終身雇用と年功序列がなくなれば日本の企業は弱くなるという意見も一部のエコノミストや経営学者あたりにあるが、そんなことはまずあるまい。 考えてもみてほしい。
終身雇用と忠誠心と年功序列の典型的なところはどこかといえば、それはお役所である。 お役所は年功序列で終身雇用。
忠誠心というのは、一言でいうと、企業に対するプライドであり、そうすると、お上意識も歪められた形ではあるが忠誠心であることにはちがいない。 かつての国鉄一家意識も一種の忠誠心である。
つまり、お役所には忠誠心もあるし、終身雇用も年功序列もあるが活力がない。 しかし日本の会社にはお役所とは段違いの活力がある。
すなわち終身雇用と年功序列と忠誠心があるから活力があるのではない。 むしろ日本の産業界がいい意味でも悪い意味でも過剰競争社会だから活力があったということであろう。
つまり、弱電でも、自動車でも、鉄鋼でも、造船でも、これだけ競争する企業があるのは日本しかない。 日本の競争で勝てれば外国の競争でも勝てる。

カメラのNも、二輪車のHも、乗用車のTも、弱電の王者のMも、時計のSも、日本でシェア一位の企業は世界でも圧倒的に強い。 半導体でも同じことである。
これだけの競争社会にもまれているから世界でも楽々勝てる。 おそらく世界の証券界でもN謹券は勝つだろうと見られるのも無理はない。
むしろ圏内の競争のほうが厳しい。 そういうところで企業が切薩琢磨しているから強いのである。
これがいちばんの原動力であろう。 企業内労働組合がその過当競争にさらに拍車をかけた。
欧米の企業がなかなか日本市場で勝てないのも、そのへんに理由がある。 もっともこの過当競争は、業界再編成という、かえってむずかしい問題を生むが、とにかく活力とはそういうものである。
さらに日本の企業は、東大出身者でも、二、三流の私大あがりでも、ともかく企業に入れば、全員ヨーイドンで走らせる。 産業界が過剰競争状態になっているだけではなくて、企業の中でも過剰競争社会になっている。
だから強いともいえる。 何も終身雇用と年功序列があったから強いわけではない。
これは必要条件であっても十分条件ではない。 ただ、年功序列はともかく、終身雇用の崩壊は社会的に非常にむずかしい問題になっていく面もあるが。

ともかくわれわれの若い頃は、先輩の仕事を盗みながら、必死になっておぼえていったものである。 競争に取り残されないように、みんな懸命に頑張った。
しかしいまの新人類は本気で競争しようという気があるのかないのか、まるでわからないという上司の嘆きをよく聞く。 しかし四、五人に一人しか課長になれないのだから昔流の競争心の欠知もしょうがないと思う。
げんに、いまの中高年でも、これ以上はもう無理だ、ヘタすりゃ窓際族だ、子会社出向だというかなり興ざめした気持ちで会社をみている。 中高年や団塊の世代あたりまで、最近は相当モラトリアム化している。
まさに精神医学者のKさんがいうとおりである。 紙商農工といわれるように経済大国日本をここまで支えてきた製造業のサラリーマンがアホらしくなり、だんだん敗戦気分になってきている。
将来に希望や見返りが少なければそれだけやる気がないのはお互い様じゃないかといいたい。 たぶんこれからはどの企業も従来の七、八割のエネルギーしか社員に期待できないであろう。
チャンスが少なくなっているのだから、当たり前である。 一方で労働の価値観も多様化しているが、それはともかくチャンスが少なくなっていけば、激しい受験戦争と一緒で、一方で競争をさっさとおりる社員、このくらいでいいかなと現状に満足する社員がいっぱい出てきてもおかしくない。
しかしだからといって、会社の活力がなくなるわけではない。 今度は逆にその分だけでも管理職という、士官、将校クラスがしっかりしていけばいいじゃないかといいたい。
部下に担ぎ上げられて、あるいは上司にうまくゴマをすってえらくなっていこうという管理職には、ちょっとしんどい時代になるかもしれないが。 つまり会社もサラリーマンも、それぞれが生きのびるために必死にならざるを得ないという相当かわいた時代がやってくる。

銀行でも寄らば大樹の何とかというものではない。 四十代、五十代になると、一〇人中八人ぐらいは出向社員。
窓際族も増えている。 もう銀行様のご威光など半分過去のものであり、たぶんあと四、五年でいろいろなところに余剰人員をはめ込んでいく神通力はなくなってくる。
金融自由化で地方銀行、相互銀行など経営のむずかしいところも出てくる。 重厚長大の企業が余った中高年を子会社とか関連会社にふり分けているが、これも最近はむずかしくなってきている。
中高年の受け皿会社のなかには、どうみても絶望的にむずかしいところがかなりある。 このへんの事情は商社あたりでも同じである。
強まる転職志向アウトプレイスメント(中高年の再就職機関)も、あるいはそのうち日本で市民権を獲得するかもしれない。

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